あとでじわるサブスタック
すぐ届かない文章を残しておく理由
「発信」という言葉には、少し肩が上がる感じがあります。
届かなければいけない。
読まれなければいけない。
何か役に立つことを書かなければいけない。
そう思い始めると、書く前から文章が窮屈になります。
Substackを使い始めてから、僕は考えを少し違う場所へ置くようになりました。
大きく知らせるためというより、今日引っかかったことを、いったん残しておく場所です。
反応のない夜
記事を書いた直後、手応えが分からない日は多いです。
数字だけを見れば、何も起きていないように見える。書いた時間に対して静かすぎて、「これは誰にも届かなかったのか」と思うこともあります。
それでも、公開した文章は消えません。
夜にたまたま読まれたり、新しい記事から古い記事へさかのぼってくれる人がいたりする。
反応がないのではなく、まだ読まれる時間が来ていないだけのこともありました。
この感覚は、速いSNSにいるとなかなか持てませんでした。投稿した日の数字で、その言葉の寿命まで決めてしまいがちだったからです。
反応の少ない記事を失敗として切り分けるより、次の記事を書きながら、そのまま残しておく。
意識して待っていたわけではありません。
ただ、消さずに置いたことで、あとから誰かが入れる入口だけは残りました。
続けたあとに見えたもの
僕も最初から、自分の視点が分かっていたわけではありません。
仕事の話、タイで暮らしていたころの記憶、AIを触って感じた違和感、誰かの記事を読んだあとの小さなメモ。
ばらばらに見えるものを書いてきました。しばらくして過去の記事を読み返すと、同じ場所で何度も立ち止まっていることに気づきます。
便利になる一方で、そこからこぼれる人のこと。遠くへ行ったあと、日本語で考え直したこと。きれいな正解より、その人が実際に動いた経緯に興味を持っていること。
書いている最中には見えなかった線が、記事の重なりから少しずつ出てきました。
オリジナリティは、急いで演出するより、残した記録の中からあとで見つかることがあります。
古い記事が戻ってくる
Substackを続けていて面白いのは、古い記事へ急に反応が届くことです。
数か月前の文章に小さなハートやコメントがつく。
その通知を開くと、こちらも当時の自分へ戻ります。「このころは、こんなことで立ち止まっていたのか」と、少し驚く。
言い方が粗かったり、今とは考えが変わっていたりすることもあります。それでも、その時点の自分が何を見ていたかは残っている。
未来の読者が土を少し掘り、忘れていた文章をこちらへ手渡してくれるような感じです。
古い記事への反応は、単なる再表示ではありません。書いた本人まで、過去から連れて戻ってきます。
新しい記事が入口になり、以前の文章がその人の背景になる。
一本だけでは伝わらなかった話が、何本か読まれたあとでつながることもあります。
読者は、書き手がどこから来たのかを、自分の速度でたどってくれます。
今日の数字から離して置く
すぐに大きく広げたい話なら、もっと速い場所が向いていることもあります。Substackが何にでも勝るわけではありません。
ただ、書いた日の数字だけで文章の価値を決めなくていい。その遅さには、思っていた以上に助けられました。
今日ほとんど読まれなかった文章が、半年後の誰かには必要かもしれない。自分でも忘れたころに、昔の考えが今の自分を少し助けることもあります。
答えになりきらない考えが一つあるなら、今夜は評価せず、そのまま置いておく。
その文章を開く人の時間は、こちらが決めなくてもいいのだと思います。
途中の考えは、途中のままで構いません。
次に書くとき、続きを一行だけ置けばいい。
書いた直後には何も起きていないように見えても、文章は時間の中でじわじわ動き続けます。
最後まで読んでいただきありがとうございます🙏🏻
コメントとかいただけたら励みになります🐻❄️
「あとで効くはなし」は、脳科学と教育の会社の技術責任者は日頃どんなことを考えているのか、どんなものさしを使ってるのかを、週1〜2回ペースで配信しています📬️







