外国に居たら実家が無くなった
海外で受け取った一報と、町が支えた家族の再出発
知らせの一文が、頭に入らなかった
バンコクでの暮らしが、ようやく自分のリズムになっていたころでした。
昼はWebデザイナーとして働き、夜はVJとして映像を流す。仕事と夜の現場を行き来する生活にも、少しずつ慣れていました。
あるとき、画面に弟の名前が出ました。弟からメッセージが来ることは、あまりありません。何気なく通知を開きました。
短い文字列なのに、何度読んでも意味がつながらない。
火事という言葉はニュースで見慣れているはずなのに、自分の育った家に重なると、急に別の言葉になりました。
その場の空気だけが、急に止まりました。
僕にできたのは、日本の時間を考え、電話を待ち、予定と飛行機を調べることくらいでした。でも、電話だとすぐに親父に電話しました。
僕:「出てよかった!親父もオカンは大丈夫なのか?!!」
親父:「おっかちゃんも、大丈夫だ!心配すな!ありがとう!後で戻す。
ブチっ
夜になっても、現実だけはまだ遠いままでした。
山側から、客が走ってきた
実家のお店は祖父の代から父の代へ、店の主な役割が移るころでした。祖母は叔母のいる町へ移り、もともと祖父母が住んでいた2階のリビング脇のキッチンを、惣菜づくりに使うようになっていた。
当時は本店と支店があり、本店には町の山側に住む、祖父の代から続くお客さんが来てくれていました。
後に親父から聞いたのですが、その日、その山側からひとりのお客さんが店へ走り込んできたそうです。
かあさん!2階から煙!!
母はその声を聞いた瞬間、2階のキッチンで惣菜のフライを揚げていたことを思い出し、階段へ向かいました。でも、すでに火が出ていて入れない。支店から駆けつけた親父は、上へ行こうとする母を止めました。
大丈夫だ!なんも心配するな!!
親父はそう言って、号泣する母を抱きかかえるように外へ避難させた。
実家は全焼しました。
あとから親父に聞いた話を、僕は何度も頭の中でたどりました。北国の小さな町にあったあの建物には、家族の生活と商売が一緒に入っていた。店の段ボール、米袋、洗剤、魚、冷蔵ケースの冷たさ。2階には祖父母の気配が残っていた。
店の奥へ進めば家の匂いがあり、2階へ上がれば商売の話が聞こえる。生活と仕事を分けて考える前に、どちらも同じ建物の中にあった。山側から来る古いお客さんも、家族の暮らしの一部のようにそこへ出入りしていた。
だから、実家が燃えたという知らせだけでは、失ったものをひとつの言葉にはできませんでした。家が燃えた。店が燃えた。祖父母の時間があった2階がなくなった。その全部が、急に届かない場所へ消えていました。
記憶をたどっても、そこにあったはずの暮らしは戻りません。玄関の脇に何を置いていたか。冷蔵ケースの前で誰が立ち話をしていたか。普段なら気にも留めない細部ほど、失ったあとに急に輪郭を持ちます。
家と店がなくなったあと
家族は無事でした。それがいちばん大切なことなのは、間違いありません。
それでも、戻れると思っていた場所がなくなると、過去の手触りまで変わります。少年期そのものは消えない。でも、少年期を置いておける入れ物は消えました。
全焼しても、店は止められませんでした。
裏の倉庫へ通じる場所を仮設事務所にし、家族はそこで生活と仕事を続けたそうです。町の建築会社も協力してくれ、短い時間で新しい家が建ちました。
本店はなくなりました。
ただ、もともと業務を縮小し、店を閉じることも考えていた時期でした。支店を基点に商売を続け、仮設事務所はそのまま店の事務所になった。
火事のあと、家族の生活と働き方は別の形に組み替えられていきました。
遠くにいる人間ができること
翌日、親父から電話がありました。
仮設事務所でしばらく生活することになるけど、みんな元気で大丈夫だから。落ち着いたら電話する。それまでもうちょっと待っていてくれ
その声は落ち着いていました。でも、どこで寝るのか、店をどう回すのか、親父が何を抱えているのかまでは聞けなかった。
聞いたところで、遠くにいる僕がすぐ手を出せるわけでもない。その電話を切ったあとも、実家の様子は想像でしか埋められませんでした。
そのあと、1か月ほど連絡は来ませんでした。
心配になり、僕は急きょ実家へ戻りました。そこで見たのは、新しい家でした。家族が暮らしていた仮設事務所は、そのまま正式な店の事務所になっていた。僕が待っている間にも、向こうでは生活が先へ進み、仕事の形まで変わっていた。
海外で暮らしていると、遠い場所で新しい生活を始めるだけでは済みません。地震の速報や火事のニュースを見るたび、日本にいる家族の場所を思う。何かあっても、すぐには動けないかもしれない。その可能性を抱えたまま暮らすことになります。
家族が無事でも、距離はすぐには縮まらない。
飛行機や予定を調べて、ただ待つしかない夜がある。連絡を急かしたいのに、向こうがまず片づけるべきことを考えると、電話もためらう。実家の火事で、僕はそのことを具体的に知りました。その実感は、今も消えていません。
火事のあとにも、家族は笑っていた
実家が燃えたことを、前向きな教訓に直すつもりはありません。あれは普通に喪失でした。生活の背景がひとつ消え、帰れると思っていた場所が、帰れない場所になった。
母はしばらく、自分にも責任があったのではないかと抱えていたと思います。親父があの夜、母を抱きかかえるように避難させたことは、父なりの愛情だった。
その後、親父と弟は「FIRE」の缶コーヒーを見つけると、「危ない!危ないぃ!」と、つい母をいじるようになった。だから、自分もここで同じように違うかたちでみんなといじっている。
火事を笑い話にしたわけではありません。母だけが責め続けないように、みんなで同じテーブルへ戻るための、うちの家族なりの不器用な明るさです。あの缶コーヒーを見つけたときに笑えるかどうかが、家族の中では案外大事だったのかもしれません。
家は燃えました。でも、そこで受け取ったものと、火事のあとにも続いた家族の明るさまで、一緒に燃えるわけではなかった。
遠くにいた僕のところにも、時間をかけてその明るさは届きました。そのことだけは、はっきり残っています。
その新しい実家が、のちに僕の人生をもう一度大きく揺らすことになるとは、そのときはまだ知りませんでした。
最後まで読んでいただきありがとうございます🙏
ヨネケンの「あとで効くはなし」は、脳科学と教育の会社の技術責任者は日頃どんなことを考えているのか、どんなものさしを使ってるのかを、週1〜2回ペースで配信しています📬️
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大変なご経験でしたね🥹
海外にいると距離ってものすごく感じる時ありますよね。
ご家族が今ではいじり合える関係性が素敵です!
続編も楽しみです。
そんな経験が...。
ご無事だったのと前向きな家族に救われました。
そして最後の伏線が気になって夜しか眠れないw