夜、画面をスクロールしていると、似たような言葉や写真が次々と出てきます。
伸びている投稿の見せ方、読みやすい文章の型、注目されている人の言い回し。
そうしたものを参考にして作ることは、それほど特別ではありません。
けれど、似たものを見続けた後に、ふと手が止まることがあります。
「自分には、何ひとつオリジナルなものがないのではないか」
あの感覚は、新しいことを作りたい人だけのものではないと思います。仕事で資料を作るときも、服を選ぶときも、自分の言葉で何かを話そうとするときも、オリジナルへの不安はどこかで顔を出します。
そのたびに、まだ誰もやっていない何かを探さなければと考える。それは、そうとう疲れます。
最初から、自分だけのもの
そもそも、最初から自分だけの言葉を持っている人はいません。
言葉は人から覚えます。作り方や見せ方も、まずは誰かのやり方を見て学びます。
好きな作家の文章を読み続ければ、言葉の速度が少し移り、憧れの人の服を真似すれば、色の選び方が残ります。仕事でうまい人の手順を借りるうちに、その手順が少しずつ自分の手になじむこともあります。
そう考えると、真似はオリジナルへの入り口になります。
誰もが、何かの影響を受けて生きています。大事なのは、真似した事実よりも、その後で自分が何を混ぜたかなのでしょう。
借りたものが自分の時間を通ったとき、そこに何が混ざるのか。オリジナルは、その混ざり方に現れる気がします。
同じ手順を借りても、人によって止まる場所が違います。
ある人は速さを気にし、別の人は手触りが気になる。もう一人は、誰も読まないような小さな一文を残します。
その違いは、たいてい目立ちません。けれど、誰かのやり方を借りながら、自分の感覚で小さく作り直した跡です。
三日で冷める熱
誰かに勧められた習慣や暮らし方を試して、三日ほどでやめてしまう。よくあることです。
そのとき、続かない自分を責めることがあります。
でも、興味が冷めたと決めつけるのは早そうです。その習慣を続ける理由が、まだ自分の中になかっただけかもしれません。
三日でやめた習慣にも、それを勧めた人の背景がくっついています。なぜその習慣が必要だったのか。
どんな生活を守り、そこへたどり着くまでに、どれほど時間を使ったのか。形だけを受け取っても、その背景までは移ってきません。
一方で、理由をうまく説明できないのに、なぜか何度も戻ってしまうものがあります。
気づくと同じ本を開き、似た色の服を手に取り、前にも出会ったような言葉に、また立ち止まっている。その繰り返しは、新しさよりも、ずっと静かです。
けれど、そこには自分の感覚が反応した跡が残っています。誰かのおすすめから始まったものでも、戻り続けるうちに、それは自分の時間と結びついていきます。
説明されないコスト
きれいなノウハウや、正しい知識は、以前よりずっと早く手に入るようになりました。誰かが上手に整理した答えは、すぐに見つかります。同じ形の発信をすることも、前より簡単になりました。
それでも、ほかの人がそっくり同じように話せないことがあります。
挫折した後、どうやって次の日を過ごしたのか。思うようにいかない時間の中で何を捨てず、誰にも理解されなかったこだわりと、どう付き合ってきたのか。
これらは、履歴書やプロフィールには納まりにくいことばかりです。そうした時間は、いわば「感情のコスト」です。
うまくいかなかった後に残る痛みや、遠回りの中で使った時間、それでも手放せなかったものまで含まれます。
そのコストは、数字にはなりにくい。けれど、その人の言葉がどこから出てきたのかを、静かに支えています。
オリジナルとは、誰も見たことのない形ではなく、その人が通ってきた時間が消えずに残っていることなのかもしれません。
だから、特別な経験を無理に探す必要はありません。傷ついたことをすべて公開する必要もない。
書かないで持っている記憶も、人に見せないこだわりも、その人の言葉や手つきには、知らないうちに混ざります。
すべてを見せなくても、自分が何を通って、いまここにいるのかは、言葉の中に残ります。その時間は、隠しても完全には消えません。
同じ形から、少しずれる
同じフォーマットを使っても、出てくるものがまったく同じになるわけではありません。
どの例を残し、どの言葉に少し間を置いたのか。うまく説明できないのに、どこを削れなかったのか。
そうした小さなズレの中に、作った人が現れます。それは、真新しさを競うレースでは見えにくいものです。
ほかの人と並べて、違いを大きく見せようとするほど、かえって自分のズレは隠れてしまいます。
真似をしていても、あなたがそれを作るなら、あなたの見たもの、忘れられないもの、うまくいかなかった時間が少しずつ混ざります。
混ざってきた自分の時間を、きれいに取り除かないこと。先に見つけた答えへ、自分の感覚を完全に合わせないこと。
小さなズレを残すくらいが、ちょうどいいのかもしれません。「自分らしさ」を後から足そうとすると、文章も作品も急に大きな声になります。
でも、実際のその人らしさは、もっと小さい。
いつも同じ例えを使い、説明の順番が少し回り道になる。笑う場所も、ほかの人とは少し違う。そうした癖のようなものは、本人が気づかないまま、真似の中にも残ります。
夜に引き出しを開ける
もし、何を作ればいいのか分からなくなったら、外側のレースから一度離れてもよいのだと思います。
そこで、なぜかまだ覚えている小さな場面を、ひとつ思い出してみる。すごい実績や、誰も知らない体験である必要はありません。
誰も見ていなかった部屋の空気や、ふと目に入った夕暮れの光。思いどおりにいかず漏らしたため息と、理由もなく心に残った一言。
こうした場面は、そのまま発表するための素材ではありません。記憶を自分の中に置いたままでもいい。
まだ外へ言葉にしていなくても、引き出しの中には、すでにいろいろな時間が入っています。ただ、そうした断片は、どうして自分が同じものへ戻るのかを、小さな声で教えてくれます。
画面の向こうにいる誰かと比べるのをやめ、その断片を一つずつ確かめたとき、とっくに自分の中にあったオリジナルが、少しだけ見えてきます。
オリジナルかどうかは、いったん机の端へ。
次につくるものは、好きな誰かの真似から、もう少し気楽に。
最後まで読んでくれてありがとうございます🙏🏻
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